キン・シオタニ

東京生まれ。イラストレーター、文筆家。全国の雑貨屋で販売された「長い題名シリーズ」のポストカードで注目され、様々なメディアでイラストを発表するほか、作品集の出版、メディア出演、パフォーマンスやトークイベントの出演や企画を行なっている。大きな仕事から個人的な仕事まで、その幅の広さは他に類を見ない。また長年の旅の経験から日本各地の街を独自の視点で語り、多くの支持を集めている。


MEDIA テレビ・雑誌・本など

LIVE パフォーマンス・トークライブ・講演会など

WORKS イラストレーションなど


キンシオヒストリー

生まれ〜ポストカードが売られるまで

1969年9月12日、東京都杉並区に生まれる。父は商業デザイナー。まもなく小金井市に引越す。カトリック系の幼稚園に入る。彼は現在無宗教の立場をとっているが、この時に刷り込まれたキリスト教は潜在的に今も影響している。小金井二小、一中に進学。小学時代はサッカー部のキャプテンだったが、中学になって、他校からうまい人が入ってくると、やる気をなくし、さぼり出した。中学一年の時に同級生三人と関西旅行をする。以降、彼の旅人生が始まる。同級生の政岡直人君を尊敬する。

85年、都立田無高校進学。団体競技に飽き、テニス部に所属。一年の終わり頃から急にうまくなり、都立高としては快挙といえるシード権を獲得。一方、この頃に精神的に目覚めたいくつかの出来事があった。休みになると一人旅に出かけた。当てもない旅で、適当に歩いてはぶらぶらして、飽きたら帰ってくるという旅だった。また、文学的や音楽的にも目覚めた。文学のヒーローは太宰治で、これには相当な衝撃を受けた。音楽のヒーローは、イギリスのバンド、デぺッシュ・モード。高3最後のテニス選手権で遅刻して不戦敗という、本人いうところの「今までの人生で一番後悔した日」を経験する。太宰治の魂を求め、北国ばかり旅をするようになる。また、二年の時、スケボーにはまり、学校もスケボーで行く。88年、東京国際大学教養学部国際学科に入学。受験科目が英語だけなのでそこを受けた。ヨーロッパ文化を専攻するが、授業にはほとんど出ず、学校のまわりの入間川や川越の街を散歩ばかりしていた。この時、後にギプススタジオを設立する芦澤英樹と知り合う。体育会テニス部に所属するが、大学生活が部活中心になることに疑問を感じ、19日で退部。行き当たりばったりの毎日。大学時代は色々あったが、ここではあえて二つだけを言おう。ひとつは本格的な放浪の旅をしたこと。夏になると北海道、冬になると九州へ行く。主に電車とヒッチハイクだった。駅やバス停で夜を明かしたことは数知れず、ドングリを食べたこともある。九州の南でコップに海の水をすくい、その水を北海道の海に流したのは三年の時。様々な人に世話になった。その中にはピアニストでMIT教授のマレク・ゼブロウスキもいる。とにかく大学時代は、一年の三分の一が旅だった。もうひとつの出来事は、大学の教授をしていたクリス・モズデルとの出会いだ。彼はYMO、坂本龍一や山下達郎、アンルイスなどの作詞家ともして知られ、当時日本の音楽をほとんど聞かなかったキンはそのことを知らなかったが、センスの良さに惚れ、近付いた。結果、クリスも彼に心を許し、二人の付き合いが始まる。クリスのことを師匠と慕うシオタニはその後、彼を通して谷川俊太郎や出版界の人たちと会い、その道に進むようになる。そのころまで、シオタニは通訳か旅行作家になりたいと思っていた。しかしクリスに会い、より芸術的な方面向かうようになった。とにかくクリス・モズデルはそうした大きな存在で現実的なヒーローだった。文学の趣味は太宰治のほかにカミュ、内田百間と続いた。音楽のヒーローはモリッシー(スミスというイギリスのバンドの中心人物)だった。そういえば、絵もこの頃(20才)描きはじめた。落書きだった。またそのころ、親と住んでいた小金井から姉と東久留米で暮らす。

92年、大学卒業。就職拒否。大学時代に溜めた貯金をゆっくり食いつぶす日々が始まる。何もしない毎日、自転車でぶらついたり、最寄り駅から最低区間の切符を買って、落ちている切符を拾い、そこに行く、スゴロクのような毎日。後年「無気力爆発時代」と呼ぶこの期間は3年にも及ぶ。何もしなかったが、今日を生きた証にと、帰りに小平のミスドにより、日記のように詩を描くようになり、やがて絵もかくようになった。このときにかいた詩や絵は、後年「ばかと40人の青年」という題でその96年に出版される。この時期も旅はたまに出た。貧乏旅行だからどこにいようと同じことなのだ。

ポストカード〜「目を閉じればすべてが見える」

95年に、大学時代の友人、芦澤が一緒に何かしようともちかける。芦澤には昔より、西洋と東洋の出会う国、トルコで日本人街をつくるという計画が会ったが、あきらめた。それで何をやるかで当時キンがミスドで描いていた例のイラストをポストカードにして、売ろうときめた。絵をかいていた時は、「何々な青年」というタイトルはなかったが、「作品番号1」とするより作品に個性と愛着を持たせようとそれぞれにタイトルをつけた。当時はやっていたキースへリングの「untitled(無題)」のアンチテーゼと、見ただけでは分からない様な長い題をつけたのだが、後々それが売りとなる。二人でお金をだしあい、電話を引く。事務所の名前は「ギプススタジオ」にする。当時キンの友人の櫛引政仁がむち打ちで首に「ギプス」をしており、おかしかったのと、「ギプス」という語感から決めた。5月、商品化したポストカードが青山ブックセンターの総務の網元さんという人の目にとまり、青山ブックセンター(新宿ルミネ2店)で販売されることになる。7月8日の英字新聞、毎日ウィークリニュースの一面で彼の作品が記事にされる。その後、95年が終わるまでには彼の作品を扱う店は原宿現代屋、吉祥寺PIN-UPS,下北沢EX、など5店鋪になる。10月、井の頭公園(吉祥寺)でポストカードを売りはじめる。もともと暇つぶしではじめ、今では全国で見かけるその現象も当時やっている人はいなかった。

96年、6月。第一作品集「ばかと40人の青年」を鶴書院より刊行。キンの父がその出版社と関係があった。ポストカードの青年のイラスト40作品と、それまで発表するあてもなく書きためていた短い詩をあわせたもの。最初は「ばか!」というタイトルになるはずだったが、今までにそんなタイトルの本があるかもしれないと思ったので「アリババと40人の盗賊」をもじってそれにする。自ら書店をまわって挨拶に行った。これは今までの生活がただ自転車でぶらぶらして本屋があると立ち読みをしていたことと大してかわらず、目的がある分楽しかった。8月、「ばかと40人の青年」が、雑誌「オリーブ」(マガジンハウス)に紹介される。それを知った時、キンは函館にいた。「ばかと40人の青年」はその他、東京新聞などでも紹介された。それ以降雑誌には色々と出ているのでここにすべてを書くことはできない。

97年、1月。テレビ東京の深夜番組「少年バット」出演。テリー伊東、高城剛の司会。浅草キッドもいた。ソウル歌手、ORITOのシングルCD「そして僕を愛して」(ビクター)のイラストを担当。7月、吉祥寺に移転。一人で暮らす。9月、第2作品集「想像力の豊かなひとのための小さな本」をクレオより刊行。雑誌「SWITCH」に紹介される。調布パルコにてサイン会とライヴペインティング。

98年、1月、新作ポストカード発売。2月、青山のクラブ「MIX」にて初の個展「KIN SHIOTANI AT MIX」。このころより、作品はエアブラシを取り入れ、「エアブラシ時代」始まる。5月、吉祥寺SHOP33にて、「吉祥寺をジョ−ジと呼ばないで展」を行なう。NHK衛生テレビ「真夜中の王国」で紹介される。高校時代の親友、高橋和博死亡。9月、第三作品集、「だから?」を葉文館出版より刊行。渋谷ブックファースト、吉祥寺パルコでサイン会とライヴペインティング。

99年、1月、雑誌「アエラ」に記事でナカムラミツルらと紹介される。新作ポストカード発売。写真に絵を描く実験作品発表。これ以降「写真に絵を描く時代」始まる。2月、テレビ東京の深夜番組「クリエイターズ・エレメント」に出演。8月,旅行雑誌「格安航空券ガイド」(双葉社)の企画で、タイのチェンマイに行き、ナイトバザールでポストカードを売る。キン初の海外旅行。ラブサーカスのCD、「約束」のジャケット担当。吉祥寺の書店「ブックス・ルーエ」のブックカバーのイラスト。10月、「MIX」にて個展「三千年まであと千年」。11月、オフィシャルWEBサイト「三千年まであと千年」がキュービックエナジーのサポートでスタート。スペースシャワーTVにて、キン・シオタニのイラストを映像化したCMがオンエアされる。12月、第四作品集「目を閉じればすべてが見える」発売。

初沖縄〜ビームス個展

2000/ 1月、「好きになっちゃった沖縄マガジン」(双葉社)の仕事で国内未踏の地、沖縄へ。船で2泊3日。さらに石垣島、竹富島へ。新作ポストカード発表。2月、「ティアラこうとう」にて、ラブサーカスのライブでコラボレーション。公認ファンサイト「綺羅星」が「だから?」の読者はなさんによりスタート。3月、吉祥寺サンロードのブックスルーエ改装。看板に天使のイラスト。4月、新作Tシャツ。山梨のレストラン「揖(ゆう)」のオリジナルワインのラベルイラスト。役者、清河寛の手ぬぐいのイラスト。7月、「だから?」と「目を閉じれば〜」の版元、葉文館出版倒産。7月、青山の「ラスチカス」と「D-ZONE」で個展を同時開催。奈良の一人の女性が買い占める。9月、shop33での「吉祥寺をジョ−ジと呼ばないで展」、井の頭公園でゲリラ花火大会。橋に人を並べてナイアガラをする。JOKEVOXのCD「ポストモダンタイムス」のジャケット。渋谷のNEST、CLUB ASIAでイベント。10/7より木版画製作開始。11月、第2作品集「想像力の〜」(クレオ)が増刷。亀戸で江東区に招かれ「キンシオゼミ」開講。イギリス人のファッションデザイナー、クリストファー・ネメス氏と雑誌で対談。  2001/1月、各駅停車で鹿児島まで旅行。2月、新作ポストカード発表。テレビ朝日「トゥナイト2」でキン・シオタニの活動が特集される。学芸大学の「バーデンバーデン」にて初の版画展「ロオテク」。3月、青山OJASのイベントで初のポエトリーリーディング。ゲストにギン・シオタニ氏(として芸人のケッチ!)。4月、新作Tシャツ発表。5月、テレビ東京「ナビゲーター21」で彼の活動を紹介。亀戸「サンストリート」にて「無気力爆発」展。6月、第5作品集「無気力爆発」(光進社)が発売。ブックス・ルーエでサイン会。7月、池袋ROSA INにて劇団第14帝国のイベントにゲスト出演。フジロックフェスティバルでイギリスのバンド、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロク氏と雑誌で対談。8月、長岡で花火を見てそのまま北海道旅行。9月、高円寺「マチェック」で個展。第6作品集「空中散歩」(廣済堂出版)刊行。実験を続けていた「写真+絵」の初の作品集。ブックスルーエでサイン会。10月、限定腕時計発表。携帯ストラップなども発売。11月、パルコ吉祥寺でイベント。月刊プレイボーイ(集英社)でつかこうへい氏の連載にイラスト。初めて女の絵を発表。ツタヤオンラインで携帯電話のキンシオ待受画面のサービス開始。12月、ブックスルーエが作品展示スペースを設置。そのこけら落としに個展「輝ける12人の恍惚と憂鬱」。  2002年/1月、香川にうどんを食べに行く。2月、バーデンバーデンで「少女展」を行う。 3月、通産7冊目の作品集「生まれたついでに生きる」がマガジンハウスより刊行。それまでに発表した全ポストカード作品と、4万字に及ぶ「早すぎた自伝」を収録。ブックスルーエで3月22日にサイン会。マガジンハウスからの出版は芸術活動を初めてからの念願であった。絶版となっていたデビュー作「ばかと40人の青年」がブッキングより復刊。 5月、下北沢の「add cafe」にて「生まれたついでに生きる」展。8月、北海道旅行。帰りに岩手県花巻の古着屋「コールタール」のフィッティングルームに壁画。9月、自動車運転免許取得。ポストカード、ロフトで販売開始。10月、岡山の「サウダーヂな夜」で個展。東京以外で初。以前、1月の旅の途中でたまたま寄った店で個展とは(偶然にも店員は読者だったことが後に判明)。車を購入。もちろん初。カローラワゴン、63万。11月、札幌の「カフェギャラリー・マーブル」で個展。レンタカーでドライブ、富良野が雪でピンチに遭遇。12月、亀戸「サンストリート」で個展。毎日車で通う。パーカー、カレンダー発表。2003 1月、愛知県刈谷の「上々」で個展。この4ヶ月全国で行った個展はすべて「キン・シオタニの世界展」。2月、携帯サイト「待受★ジャム」で、写真+絵+詩をあわせた連載、「沖縄の水を北海道に捨てに行く男」がスタート。3月、阿佐ヶ谷にヴィレッジヴァンガード・ダイナー(全国に展開するユニークな書店のカフェ)のヴィジュアルイメージ(看板、原画)を担当。4月、平成15年度の高校倫理の教科書(一橋出版)の表紙などのイラストデザインが文部科学省の検定に合格。5月、下北沢の風呂式で個展。8冊目となる作品集「ラジカルヒステリーツアー」をビジネス社より刊行。鉛筆画時代。5月31日にブックスルーエでサイン会。6月、亀戸サンストリートで「ラジカルヒステリーツアー展」、バーデンバーデンで「沖縄の水を北海道に捨てに行く男」展。7月、三浦市三崎でイベント「海に歌え」のゲストゲリラ売り。8月、北九州、香川などを旅。9月、母校の都立田無の文化祭で講演。OZマガジンで武蔵野うどんを紹介。初心者マークとれる。10月エレファントトークの「夜のボタン」のCDジャケ。11月、田無高校で総合の授業。 2004 1月、車検を自分で通す。タイに旅行。向こうのアーティストとも交流。2月、北海道、美瑛のgoshという喫茶店のコーヒーラベル。3月、ギプススタジオの新人をプロデュース。ブックスルーエのブックカバーの新しいデザイン。4月、新宿のビームスジャパンにて「無気力爆発」展。キンの2大師匠、クリス・モズデル、パトリック対面。この時を、キンは自分のアートキャリアをのうえで一区切りだとしている。今までは比較的、限定された人だけに発信していってたが、マガジンハウスの本、ビームスでの個展でそれまでやってきたことのすべてを総括し、これからはあらゆる人へ発信使用と思った。インターFMのガイ・ペリマンショウに出演。6月、札幌のマーブルで「無気力爆発」展。8月、千駄ヶ谷のループラインで「素足」というイベントにシークレットゲストとして出演、ライブペインティング。9月、渋谷のJTのスペース、D-specカフェで「キン・シオタニの少し」という展示。コラボなどを展示。インターFM出演。10月、国際フォーラムで東京コンテンツマーケットにギプススタジオとして出展。日本工学院専門学校で講演。11月、ブックスルーエで「キン・シオタニ少し」 12月、春日部で展示。映画プロジェクトで落語家、林家木久蔵師匠にインタビュー。ブックスルーエで、初の他人を個展プロデュース、Don’t Tryのカバン展。好評。演劇フリーペーパー「confetti」の表紙イラスト。

初小説〜現在

2005/1月、姉の子どもに生まれてはじめてお年玉をあげる。7月に出版予定の「沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男」を小説として書き下ろす。ここまで長い小説ははじめてでだったが、一気に書き上げる(1/4〜1/24)。2月、阿佐ヶ谷にあるヘアーサロン・タナカの看板をペイント。3月、NHKの福祉イベント「ハート展」に参加。森英恵、松本零士など、各界を代表するアーティスト50人ということで選出される。身体の不自由な方が応募して選ばれた詩をイメージして絵を描く仕事。これはノーギャラだったが、今まで人に世話になってばかりかけて生きてきたと思っていたキンにとって、少しでも人の役に立てたと思えたことは大きかった。キンの担当は新名さんという目の不自由な方で、オープニングイベントの日本橋三越で新名さんと対面。このイベントはその後、全国を巡回、作品はハート形のキャンバスを特注で作り、それにアクリルで絵を描いた。林家木久蔵の映画制作中止(ガクッ)。4月、花見の井の頭ゲリラ大盛況。黒の「無気力」Tシャツ発売。九州で初となるビームス福岡での個展。「無気力爆発」(吉祥寺発〜新宿経由〜天神行き)。7月に刊行予定の「沖縄〜」のアート部分の制作を中旬に集中して行う。カラーコピーで切り張りするコラージュの毎日。カラーコピーに多くの時間とお金を費やす。5月、父、脳の病気で倒れる。命に別状なしだけどびっくり。人生初の広告代理店のコンペで受注(クライアント、タカラレ−ベン、代理店、日経広告社)。日本工学院で講議。7月、オフィシャルサイト「キンシオドットコム」スタート。ハギボウ氏デザイン。CBC(名古屋のラジオ局)の「週間14帝国」にゲスト出演(この日はぎりぎりまで井の頭ゲリラでおわって新幹線で名古屋でラジオを二本取りというスケジュールだった。本来なら朝一番の新幹線でかえってまた公園だったが天気が悪そうだったので鯱乃家でカレーうどんを食べた)。「沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男」が集英社インターナショナルより刊行。ブックスルーエでサイン会。新宿、渋谷、福岡のビームスで3ケ所同時個展(4月から9月まで)インターFMの「ガイ・ペリマン・ショウに出演(このころは私生活も含め本当に忙しかった)。新宿のライブハウス、LOFTにて「死ね死ね団」の企画イベントに「縄文オペラ」という名前のユニットで出演、メンバーは他に楠本柊生元帥(舞台役者)、最鋭輝(ム-ディスト)、立川志の吉(落語家)との4人という異色ユニット。キンはライブペインティング。ライブドアトップページで4コマ漫画発表。8月、mixi始める。9月、青山のライブハウス「月見ル君ヲ想フ」のスケジュールカレンダーの表紙を担当。10月、下北沢にて落語家、立川志の吉氏が、「塩コーヒー」を落語として初演。その後数回、高座にかけて話は進化。明治大学駿河台校舎のアカデミーコモンの「カフェ・パンセ」で「沖縄~」展。11月、下北沢のライブハウス440で元たまの柳原さんとin the soupの中尾さんの企画「旋律のない音楽」に参加(柳原さん、中尾さんの他の共演はうつみようこ、中山可奈子<元プリプリ>。塩コーヒーの朗読+志の吉落語。新宿LOFTにて、縄文オペラの進化版「弥生オペラ」を死ね死ね団企画のイベントに出演。アーティストマネージメント事務所(有)リメールと業務提携。2006  1月、車を買い替える。カローラフィールダー。立川志の吉落語、第二弾「ペロタンポコタン」の脚本。コミック雑誌「スピリッツカジュアル」の真木ヒロチの作品にゲリラ参加。4月、「親とはぐれた人面犬」の4コマ連載がエフドットコムというサイトでスタート。 5月、吉祥寺シアターにて「3006年マデアト千年」のイベント、宝田ななせプロデュース。大掛かりなイベントで各方面から取材を受ける。900人近い動員を記録する。第三部のペロタンポコタン朗読と立川志の吉との「立体落語」はスクリーンを使って視覚的な効果を実験。大成功におわる。山形旅行。 7月、ロフト吉祥寺店にて「キン・シオタニの世界」。ライヴペインティングも行われる。変なポーズの絵を描こうと「ポオズ時代」宣言。8月、TBSのミニドラマ「根津サンセットカフェ」のアートワークを手掛ける。また台本でも参加。出演は片桐仁(ラーメンズ)、倉科カナ。ロックバンド、ラブハンドルズのCD「風街ラマン」のアートワーク。8月下旬より北海道旅行。9月、世界一の四尺玉をあげる片貝花火大会を見る。10月16日、思い付きではじめた「卓上ライブペインティング」を月見ルのイベントではじめる。学習院女子大でイベント。11月3日、井の頭公園で文字絵を発明。ビームスジャパンで3度目の個展「ポオズ」。インターFM出演。オープニングでは立川志の吉による落語も。12月、TBS「根津サンセットカフェ」がDVD発売。キンシオイラストパッケージ。ビームス個展終了。過去のビームス個展で一番の売り上げ。27日、吉祥寺スターパインズでラブハンドルズのライブにゲスト出演。卓上ライブ。

2007

1月、ブックスルーエで展示。井の頭公園のゲリラ売りが「アートマーケット」として公園側の主催、許可のもとにスタート。キンは登録番号「A- 0001」。京都、大阪を旅。22日、落語家、立川志の吉と二人で舞台「吉祥寺をジョージと呼ばないでin下北沢」。これは志の吉が講談師の神田京子さんと二人でやっていたイベント「繭から」の神田さんのピンチヒッターで急きょやった舞台。初めて本格的に構成、選曲などを手掛け、後の「キンシノ」へと発展する。キン作、ハギボウVJとのコラボ落語「ぺロタンとポコタン」。キンも落語(キンシオ小噺)「はちみつおじさん」を披露。打ち上げで、演芸評論家の木村万里さんに認められ、後の「絹〜渦」へのきっかけとなる。あとから振り返ればあれは小さな箱でやった大きな意味のある舞台だった。2月、後のドローイングシアターの仕事をライブハウスなどで入れるようになる。当時はペインティングシアターを呼んでいた。携帯のきせかえツール「カスタモ」で「天使のすむ街」を配信。3月、UKプロジェクトのコンピレーションCD「digging up blue」のジャケを描く。書く。ポストカード、塩コーヒーのように散文をジャケットにする。このとき打ち合わせの場だった、UKプロジェクト経営のカフェ「風知空知」の看板やメニューのイラストを、後に頼まれるようになる。15日、木村万里さん主催のお笑いイベント「絹14」に出演。ペインティングシアターネタ「かもめの恩返し」。うまくいく。16日、立川志の吉の渋谷シアターDでのライブにゲスト出演。雑誌、東京ウォーカーで書き文字だけの仕事。 22日、明治安田生命ホールにて、立川志の輔師匠の「志の輔らくご21」のロビーゲストとして参加。本番を見させていただく、キンの横には立川談志家元と野末陳平先生。松元ヒロさんと初めて話す。その日、談志さんは志の輔師匠に呼ばれて舞台にあがる。記念すべき会だった。3月はこのペインティングシアターの仕事を6本入れた。4月、全国高校読書感想体験記募集のポスター。5月、日本工学院で講義。下北沢のカフェレストラン、風知空知の看板、メニュー。吉祥寺のTシャツ専門店、グレシャスグラウンドとのコラボT。6月、上海のカフェGINGERに招かれ、リニューアルの内装ペインティングパフォーマンス。帰りにリニアモータカーに乗る。帰国後、倉橋ヨエコ、矢野絢子のピアノライブでドローイング。このころ、多忙により(と診断されたが)、帯状疱疹をわずらい医者通い。7月、渋谷で二つの個展。Q-AXシネマ1F,カフェプロローグで「無気力爆発」、カフェノルブリンカで「根津サンセットカフェ」展、テレビで使ったセットを再現。このころ生まれて初めて歯医者に行く。8月29日、Q-AXで「無気力爆発」展記念ライブ、楠本柊生、最鋭輝、立川志の吉と。9月、お笑いライブ「絹16」出演。中村有志、THE GEESEらと。10月、ビームスジャパンで4度目となる個展「生活詩人」。ギャラリーと同じ壁紙を用意し、7メートルにわたってあいさつ文を書く。プロダクトブランド「プルンニー」とコラボで「天使のペンクル」(ロールペンケース)を限定発売。タイ、バンコクのカフェshade of retroにて初となるタイでの個展。作品の展示のみでタイには行かず。ロックバンド、RIZEのベーシスト、kenkenのソロアルバム「arrival of invaders」にa to zmagicとmy nick name is chickenの二曲に作詞を提供。kinkin名義。(My nickname~はkenkenと共作)。08春公開の映画「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」(ギャガコミュニケーション)の劇中イラストを担当。市原隼人演じる主演のママチャリが絵を描くシーンに手で出演(映画初出演!、、手のみ)、このころ、新潟にフリーペーパー「みちみち」の取材などで一ヶ月に三回行く。棚田や米に感動する。12月、「絹17」に出演、松元ヒロ、すわ親治さんらと。

2008

1月、kenkenと仲間たちライブに出演、kenkenの母である金子マリさんらと。翌日インフルエンザにかかる。新潟に棚田を見に行くが、雪で棚田はなかった。2月、NHKで木村万里さんの主催するお笑いイベント「絹」のテレビ版が「笑謝和」として放映され、オープニングのCGイラストとセットを担当。ノートパソコンを買う、マックからウィンドウズへ。「みちみち」の取材をかねて、富士宮とフクロウの動物園(富士花鳥園)に行く。3月、吉祥寺ヨドバシ裏の3つの店(カフェ・アマル、frequentpax,吉祥寺シアターカフェ)でウラキチというゲリラ的個展をする。ドトールと餃子のみんみんが値上げ。赤坂サカスのオープニングイベントでドローイングシアター。吉本の芸人、ダイノジと11年ぶりに再会。4月、劇中イラストを手がけた「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」が公開。あわせてイラストのキーホルダーなどのグッズも出る。5月、全国高校読書体験感想記のポスター。お笑いイベント絹、あらため「渦18」に出演、オオタスセリ、小林のり一、清水宏らと。KenkenのA to Z magic紙芝居。伊豆旅行。6月、日本工学院で講義。17日、立川志の吉とのコラボライブ「キンシノ」を代官山、「晴れたら空に豆まいて」にて、演出、構成、選曲も手がける。テーマが恋愛で、志の吉の演目は「紙入れ」、結婚式の営業としてコラボでやることになる馴れ初め紙芝居のリハと称して、新郎新婦のいないなか発表。ぶっつけ本番だったが成功。7月、公式ブログ「無気力爆発」がヤプログで開始。薄く広い活動で何をしたらわからない悩めるキン・シオタニのブログという副題。大好きだった小平のうどんやかずらが閉店。目黒の結婚式場「ブルーポイント」で志の吉と「馴れ初め紙芝居」の営業。宮田夫妻。時間を大幅にオーバーしたものの、客には大好評。8月、「渦19」THEGEESE、坂本頼光、小林のり一らと。吉祥寺ダイヤ街のアーケードが架け替えのためなくなる。御殿場で志の吉と結婚式の馴れ初め紙芝居。勝又夫妻。時間内におさめる。吉祥寺のタイ料理や「アムリタ食堂」で個展。9月、「アムリタ」でパフォーマンス、それまでで一番ぐだぐだなもの。ゲストに立川志の吉。京都旅行、カフェめぐり。BEAMS JAPANで5度目となる個展「スゴロク人生」。会場に六つのスゴロクを用意して、サイコロをおき、それぞれのスゴロクをさせるというもの。10月、サクラメリーメン(スピードスターレコード)のシングル「リリィの愛の歌」のPV(プロモーションビデオ)製作。一曲をまるまるドローイングシアターで表現するというもの、メンバーとスタッフみんなで案を出し合い、まる1日かけ、発案から二年のドローイングシアターのそれまでの集大成的作品を作った。PVディレクターのクレジットもキンとなり、本人はまた薄く広い仕事のプロフィールに加える肩書きが増えたと喜んだ。7日、立川志の吉とのコラボライブ「キンシノ2」を代官山、「晴れたら空に豆まいて」にて。ゲストに野末陳平。テーマは「自慢と宣伝の境界線」これは、キンが大学生のとき、旅先でたまたま駅においてあった本を読んで、疑問に思ったことで、その本の著者こそ野末陳平であった。キンは長年そのテーマが頭に引っかかっており、落語立川流の顧問である野末氏に志の吉が頼んでゲスト出演となった。ライブは大成功。陳平先生にも喜んでいただけたようで、あとで食事に招待される。18日、タイの人気コメディアンでアーティストのノート=ウドム氏との共同個展のため、バンコクへ。4度目の海外。ウドム氏が4年前に日本でキンの本「生まれたついでに生きる」を買ってお気に入りだったということから、こういうことになった。ウドム氏はタイで絶大な人気で、22日の個展初日はウドム氏脚本、主演の映画がタイで公開されたこともあり、テレビ数社を含む30社以上の取材を受ける。キンは視力1.5にもかかわらずメガネで通す。23日、バンコクのトヨタスタイルでジャパン基金取材のワークショップでキンのアートの説明と文字絵のワークショップ、集まった客(タイ人が主)にタイ語から絵を描かせる。この期間のウドム氏との交流はキンにとってはかなりの刺激になった。帰国後、ウドム氏が日本に遊びにきて、再会。劇団道学先生の公演「ザブザブ波止場」(THEATER/TOPS)のチラシ。11月、私家版カレンダー。100部制作。乗り物シリーズ。電車、自転車、ホウキなど。代官山、「晴れたら空に豆まいて」でセカイイチとコラボライブ。

2009年

1月、横浜サムズアップでkenkenのイベントにパフォーマンスで出演。大阪、新今宮の戎神社に日帰りで行く。UZUMAKIのDUTTCHに大阪案内してもらう。2月、ブックスルーエの新作カバーで吉祥寺の地図を描く。キンが最初に地図を書いたのは小学生だが、イラストを仕事にしていることときに、イラストマップ 、絵地図というのが気になり出す。それまでに、映画、「僕たちと駐在さんの700日戦争」のロケ地マップやフガソリンスタンドのリーペーパー「みちみち」で」イラストマップ を描き始め、「キンシオマップ」とでも言うべき絵地図を描き始める。3月、晴れたら空に豆まいてで立川志の吉と「キンシノ3」、初のソールドアウト。携帯待受サイト「待受⭐︎ジャム」で紀尾谷新(きおやあらた)名義で人面犬の待受画面の連載。「紀尾谷新」=「しん(新)きおたに(紀尾谷)」色々迷っている時期でもあった。tvkの特別番組「命とつながる食」のOPイラストとナレーション担当。4月、吉祥寺のギャラリー「リテイル」で個展「親とはぐれた人面犬」。中道通りのつたの絡まる古いマンションで、井の頭公園で売っているときにギャラリーのオーナーに頼まれ、場所の雰囲気が気に入り、個展を引き受け、さらには個展後、そのマンションに引っ越すことになる。個展のオープニングイベントにはサプライズ(本人も出ることを知らなかった)中尾諭介が即興の曲を歌い、キンは感銘を受け、急遽個展期間中に勝手に追加公演もする。5月、下北沢で「渦」ライブ。寒空はだか、坂本頼光、だるま食堂らと。表参道fabで楠本柊生、天野鳶丸(グルグル映画館)とライブ「宇宙と恐竜」に参加。全国高校生読書体験記(ホーム社主催)のポスターのイラスト。この頃も結婚式の余興、「馴れ初め紙芝居」やウェルカムボードなど、個人の仕事もよく受けていた。6月、長野へ旅。中尾諭介のCD「東京インディアン」のジャケットイラスト。札幌、小樽に旅。大阪RUIDOで元帥、鳶丸と「宇宙と恐竜」。ロフトプラスワンで楠本柊生のイベントに参加。このイベントでロフトプラスワンの前川誠と知り合い、のちの阿佐ヶ谷ロフトAでの「描き語り」ライブにつながる。4月に個展をした吉祥寺、中道通りのつたの絡まるマンションに転居。7月、井の頭公園で客として来て、その後、砂絵アーティストとして海外で活躍することになるナオ氏と上野のギャラリー空で二人展「アルファベット動物園」。「宇宙と恐竜」ライブを名古屋のelleで。8月、三鷹の立川志の吉の独演会にゲスト出演。代官山で「キンシノ」、初の2回公演。代官山、晴れたら空に豆まいてでかつてのアイドル、知久寿焼(元たま)、双葉双一とのライブ「フタバチック」にドローイングシアターで出演。下北沢で「渦」、ナオユキ、松元ヒロ、寒空はだからと。松崎ナオのCD「そんな印象ガール」のイラスト担当。井の頭公園の路上売りもたまに行く。9月、松崎ナオのライブにドローイングシアターで参加。(渋谷、7th floor)、TBSのネット番組goomoで番組「ドローイングシアター」、作家の山崎ナオコーラとコラボ。赤坂レッドシアターで行われる劇団道学先生の公演、「リンゴリンゴリンゴ」のチラシ担当。(客演はあめくみちこさん、六角精児さん、土屋裕一)。片貝花火を見に新潟へ。その後、棚田などへの旅もしたので900キロ運転。引っ越した古いマンションが3年後に取り壊し予定というので、部屋中に絵を描いていいという約束をもらい、部屋中に絵を描き始める。狭い風呂にはやっぱり富士山だなと思い、銭湯を巡ってペンキ絵の富士山を色々見て回る。銭湯に興味湧く。そしてアーティストの森画伯と風呂に富士山のペンキ絵を描いた。10月、友人でタイのコメディアン、ウドム・テパーニットの日本公演を観に中野ゼロホールに行く。タイ語は全くわからないが雰囲気を知りたかったので。翌日、井の頭公園の路上販売、アートマーケッツにウドムさんが来て、吉祥寺を散歩。ウドムさん、店番もする。その後、キンがよく行くタイ料理やアムリタ食堂にウドムさんを連れて行き、いつものタイのおばちゃんたちが感激。まさかの化粧を始めた。シンガポールのギャラリー、NIGHT & DAYで個展をするため初のシンガポールへ。大学や幼稚園でワークショップもし、個展も成功。行く途中に、中央線の乗り換えで網棚にのせたカバンをそのまま忘れてしまい、そこには着替えや航空券も入っていたが、パスポートを持っていたのでなんとかなる。青梅に行ってしまったカバンは1週間後に合流した森画伯が持って来てくれた。11月、阿佐ヶ谷ロフトAで初の一人のライブとなる「空中ヒッチハイク」を行う。ゲスト、山崎なおコーラ。内容はキン的にはかなり失敗だったらしく、ドローイングシアターを考えて3年、キンシノを始めて1年だったが一人ライブの難しさを知った。私家版カレンダー100セット、毎月コース30セット発売。毎月コースは毎月旅先から送るやつ。下北沢で「渦」、春風亭百恵、最鋭輝、清水宏、ペーソスらと。最鋭輝さんとは縄文、弥生オペラからの仲。12月、渋谷 7th floorでドローイング、矢野洵子、松崎ナオ、アラカキヒロコらと。茂木淳一(千葉レーダー)、越路姉妹、スマートソウルコネクションとも渋谷 7th floorで同じ月に、主に出演者の転換の時のドローイングMC。代官山、晴れたら空に豆まいてで「キンシノ5」。2回公演。テーマはお風呂。同じ月に晴れたら空に豆まいてで、「キャンドルナイト」を2日間。石田匠、若林利和(ラブハンドルズ)、千綿偉功、岩瀬敬吾(ex-19)、寺岡呼人(ジュンスカイウォーカーズ)、中尾諭介(インザスープ)と。この年の3大ニュースは「一人ライブ」「シンガポール」「引越」だった。ツイッターを開始する。この頃のSNSはマイスペースとミクシィもしていたがマイスペースはしなくなった。

2010年

1月、「キンシノ」新年会ライブ。代官山、晴れたら空に豆まいてにて。そこで発表もしたが、1月17日より、tvk(テレビ神奈川)で、テレビ番組「キンシオ」がスタート。この時はtvkのみで日曜の23時30分。イラストレーターのキン・シオタニが色々するという番組で、当初は旅番組ではなかった。第一回はキンシノライブをそのままオンエア。2回目以降は神奈川を色々知ろうというテーマで神奈川の色んなところに行き、結果旅番組として定着する。「キンシオ」のBGMやオープニングテーマ曲などの曲を決めるのもキンの担当だったらが、オープニングに使っていた ビートルズの「I am the warlus」が音声波形に合わないとのことで、ヴェルヴェットアンダーグラウンドの「waiting for the man」に変更。そしてこの月にそれまでキンが心に決めていた月に10日以上仕事をしないという決まりをやめた。 阿佐ヶ谷ロフトAで一人ライブ第二弾「空中ナイトサファリ」。ゲストは活動弁士の坂本頼光。一人ライブが掴めてきた。2月、文明堂とtvk「キンシオ」のコラボ「天使のカステラ」発売。3月、阿佐ヶ谷ロフトAで「空中森林浴」、ゲストは岩崎慧(セカイイチ)。この頃は「空中〜」のタイトルシリーズにしようと思っていたが、続かず、ロフトの前川さんのアイデアで「描き語り」になる。ムック「吉祥寺本」(エイ出版)にイラスト。4月「キンシオ」が月曜日23時に引越し。親友でが〜まるちょばのケッチ!が「キンシオ」に友情出演。江ノ島ロケ。携帯サイト「News絵文字」でデコメールのイラスト配信。「キンシノ6」2回公演。立川志の輔「志の輔らくご、あっぱれプラス」に出演。「渦」出演。モロ師岡、オオタスセリらと。5月、吉祥寺おざさの羊羹を初めて買う。全国高校読書体験記のポスターのイラスト。日本大通りでtvkのイベント「秋じゃないけど収穫祭」に出店。友達の大道芸人、ミスターdaiとステージも。6月、阿佐ヶ谷ロフトAで今回より「描き語り4」というタイトルでライブ。ゲストは長い付き合いの写真家、工藤裕之。7月、青山スパイラルホールで高田文夫の「文夫の部屋」で2日間、ライブペインティング。ゲスト、柳亭市馬、柳家喬太郎、サンドウィッチマン、U字工事、横山剣、伊藤四郎らがゲスト。サンドウィッチマンの伊達さんが知っていてくれ、ブログにも描いてくれて感動。8月、青山、月見ル君想フで「キンシノ」2回公演。ビームスで6回目となる個展「意味ある無意味」。ギャラリーと同じサイズの壁紙(7.5メートル)を貼り、日々そこに絵を描いていく。オープニングは真っ白な壁で、来た人は唖然としていた。個展終了時には絵は壁いっぱいに埋まり、最終日にその絵を切って。客に売っていき、壁は見事になくなった。キンにとっても忘れがたいライブ的な内容になった。9月、ブックスルーエの20周年記念カバー製作。10月、吉祥寺キチム で個展。似顔絵も描く。その後のキチム との関係の始め。芸人、ナオユキと下北沢のスローコメディーファクトリーで「ナオユキン」。11月、「キンシオ」、県境の旅をする。この企画は今後の「キンシオ」の分岐点にもあるシリーズで、以降、地名や県境にこだわりが増す。代官山、晴れたら空に豆まいてで「キンシノ8」。立川志の吉の母校、岡山県作陽高校の創立100周年イベントに立川志の吉、が〜まるちょばと出演。キンは「キンシオ」ロケも津山で行う。旅の帰りは一人、鳥取に寄って帰った。12月、成城ホールで立川志の輔「志の輔らくごあっぱれプラス」に出演。2011年用の私家版カレンダー製作、発売。白戸さんのプリント。100部。

2011年

1月、立川志の輔「志の輔らくご in PARCO」に短いドローイングシアター作品を提供。製作時に、井の頭公園時代からよく知っている映像作家の安宅さんと再会。阿佐ヶ谷ロフトAで「描き語り5」ゲストは中尾諭介。2月、町田パリオビルで個展。ここは立川志の吉がいつも独演会をやっている場所で、個展で古典落語(個展で古典)をやってもらうという企画から始まったが、その後のパリオ、そして町田との付き合いが始まることになる。3月、東日本大震災。色んなことを考え、しばらくは何もできない状態が続く。4月、tvk「キンシオ」が千葉テレビ、テレビさいたま、とちぎテレビ、群馬テレビで開始。前年にオンエアが始まったHBC(北海道)もあわせ6局ネットに。NHK、Eテレの「名作ホスピタル」(MC:中川翔子、増田英彦)のオープニングイラスト、セット、テロップなど美術関連を担当。代官山で「キンシノ9」二回公演。震災の話。井の頭公園で販売後、携帯を落とし、来たみちを戻り、道で見つける。Face bookを外国の友人との交流用に始めたが、後に普通のSNSとして使うようになる。代官山のカフェ「山羊に、聞く」で絵の展示。パフォーマンスも。5月、tvk「キンシオ」は「あいうえおの旅」シリーズ。岡本太郎展行く。キャノンのフォトブックサービス、フォトプレッソでフォトブックを作る仕事をtvk「キンシオ」とタイアップで。馴れ初め紙芝居で京都へ。6月、「描き語り6」ゲストはDJコミックカット(志の輔らくごで再会した旧友のあたぎさん)、志の吉、ケッチ!、ミスターdai、坂本頼光も登壇。ソールドアウト。tvkイベント「秋じゃないけど収穫祭」出演。立川志の吉と。全国高校生読書体験記のポスター。ブックスルーエの新作ブックカバー。短編小説をプリントする「文芸Tシャツ」発売。「塩コーヒー」「金をかけないで村おこしをする方法」。8月、「描き語り7」ゲスト坂本頼光。完売。青春18きっぷで広島までゆっくり行く。途中、名古屋、大阪、神戸、尾道に寄る。大阪で太陽の塔も初めてみる。9月、名古屋のうなぎにハマり、ちょくちょく食べに行く。・もともとはまったきっかけは「キンシオ」の「あいうえお」の旅の「あ」で訪れた「熱田」の滞在の時に食べた宮鍵のうなぎで、蒸さずに焼くといううなぎに衝撃を覚え、以降色んなうなぎを食べに行く。9月、ガラケーからスマホに変える。無料でLGのキーボードが出るやつ。成城ホールで「志の輔らくごあっぱれプラス」出演。「キンシノ」いつもの会場を出てホールでやるようになる。関内ホール(小ホール)。アルゼンチンの旅するアーティスト、パブロと交流。10月、キチム で個展。似顔絵も。町田で個展。11月、「描き語り8」ゲスト、寒空はだか。完売。新宿の朝日カルチャーセンターで自分史の講義。12月、代官山で「キンシノ」2回公演、追加公演。雑誌、三歩の達人のムック本「東京うどんブック」のイラスト。これは以前の「カレー本」に続き担当。私家版カレンダー製作。テーマを聞いて表紙を描く原画コースも。旅先から送る毎月コースは無くなったが、原画コースはこれ以降も続く。車を白いミニに買い換える。

2012年

1月 ビームスで個展「キン・シオタニ」の世界。50号の大きなキャンバスを3つつなげて1つの街を作り、キャンバスをどう入れ替えても街が成り立つように製作「方角のない街」。 個展イベントでコメディアンの清水宏と即興ライブ。2月、横浜市瀬谷区の新庁舎の竣工記念イベントに立川志の吉と出演。京都で馴れ初め紙芝居、そのまま京都に3日滞在。交際中の森画伯の母が亡くなり、京都から枕崎に弔問。3月、「描き語り9」ゲスト、最鋭輝。完売。全国高校生読書体験記のポスター。4月、8年ぶりに新作ポストカードは製作。発売元はブックスルーエ。吉祥寺絵地図を個人的に製作。B3サイズ。tvkの映像作品「あおほし」製作。雑誌、ソトコトの奥付の次号予告のイラストを担当。吉祥寺のお寺、安養寺でイベント出演。タテタカコと。「キンシオ」、「あいうえおの旅」が終わり、「123の旅」始まる。キンシノを武蔵野公会堂で。完売。5月、海老名市のビナウォークでtvkのイベントに出演。厚木の花屋「エレガンスフラワー」にラッピングシールのイラスト。代官山の「山羊に、聞く」で喫茶店講座。井の頭公園近くのアイスクリーム屋「ドナテロウズ」閉店。6月、tvk「秋じゃないけど収穫祭」に出演。その後物販。長蛇の列に感謝。千代田区のarts Chiyoda 3331でオズマガジンのイベントに出演。阿佐ヶ谷「描き語り」2days、初日ゲスト、中尾諭介、2日目、尾関高文(THE GEESE)、完売。7月、成城ホールで「志の輔らくごあっぱれプラス」。フジロックフェスティバル観に行く。レディオヘッド、エルビス・コステロ、ジャック・ホワイト、井上陽水。帰りのバスは2時間待った。8月、阿佐ヶ谷ロフトA「描き語り」。ゲストはピーター・バラカン。キンが高校時代にラジオやテレビで音楽を教えてもらい、エルビスコステロの厚生年金会館のライブでは声をかけて無理やり改札まで一緒に喋りながら歩いた話を告白。感動。町田パリオ で個展。9月、関内ホール大ホールで「キンシノ」1100人の動員を記録。TBSラジオ、永六輔の「土曜ワイドラジオ東京」に木村万里さんと出演。永さんはキンの両親のアイドルだったので。ちょっとした恩返し。永さんに旅の話を喜んでもらう。そのままtvkの開局40周年記念特番に出演。この40時間テレビでは「キンシオ特別編」として、キンが選ぶ神奈川40景のロケもした。阿佐ヶ谷「描き語り」、ゲストはラ・サプリメントビバ。描き語りの1回から10回目まではキン関係の友人、またはリクエストだったが、今回かえあ阿佐ヶ谷ロフトAが選ぶようになる。キンは全然知らない人の世界をライブをしながら知り、客と共有するという形。横浜、放送ライブラリーでトークイベント。10月、CS番組「ミュージックエア」のビートルズ特集でキンがMCを担当。tvk「キンシオ」の初のDVD 「国道16号を行く」発売。これは「123の旅」のスピンオフのような形でもあるが、横須賀から千葉の富津までの250キロを5日かけて撮影した。ブックスルーエのブックカバーを吉祥寺のアニメスタジオ「スタジオ4℃」とコラボ。森画伯とメキシコ旅行。グアナファト、メキシコシティ、オアハカ。カラフルなアートや壁画に影響を受ける。11月、朝日新聞の取材をうける。「映画について」。好きな映画は「さらば青春の光」と答える。横浜、港北区の阪急モザイクモールにて観覧車のライブペインティングイベント。12分で一周する間にそれに乗って描くというもの。12月、私家版カレンダー製作。「描き語り」、ゲストなしで一人。メキシコの話など。吉祥寺「百想」で似顔絵イベント。キンシノを武蔵野公会堂で、2回公演。完売。

2013年

1月、肺炎で約1ヶ月入院。風邪だと診断され、疑った森画伯が、休日やっていた東村山の北多摩医療センターに連れて行き、そのまま入院。間質性肺炎とのこと。本人は朦朧として覚えていないが、大変だったとのこと。ステロイドを大量に投入して治る。その後はすぐには退院できず、ステロイドを徐々に減らして様子を見る日々。本人は至って普通の意識になったので個室部屋に変え、毎日相撲を見る。馴れ初め紙芝居はキャンセル。「描き語り」は志の吉、キンシオの重富さん、阿佐ヶ谷ロフトAの前川さんが代演。初めての入院。風邪をこじらせたと思った。9月までは2週間に一回の呼吸器科への通院が続く。2月、退院。岩手県、花巻まつりの神輿担ぎの「邪神会」の半纏の絵を製作。3月、過去に葉文館出版出て絶版になっていた2冊の本「だから?」「目を閉じればすべてが見える」を再構成した本、「人生と言う限りある時間の中から永遠を見つけようとする青年」を新評論家から出版。イラストを描きおろして一冊にした。表紙のボサボサの髪の自画像や多くの作品は入院中に描いたもの。ブックスルーエ、サイン会。この頃はステロイドを徐々に減らす治療中のため、治療が終わるまで人と会う時はマスクを義務付けられていた。4月、吉祥寺アトレ、三鷹アトレヴィの3周年のメインビジュアルを大々的に行う。ポップ、装飾、ショッピングバッグ、従業員の名札など、アトレ中、そして吉祥寺駅にも少しキンのイラストに。歓喜。実は、その3年前に、ロンロンからアトレに変わるときにも、吉祥寺の漫画家やアーティストと一緒にキンのイラストも代理店からオファーを受けていたものの、他店(ルーエだと思われる)のビジュアルを手掛けていたことで話が無くなったこともあった。その後の、キンの仕事観て、吉祥寺としてオファーをしていただいた。タイのコメディアン、アーティスト、ウドム氏来日。吉祥寺で会う。名古屋の中京テレビ「KO-EN」の司会。これは元、芸人で放送作家のフォークダンスde鳴子坂の桶田敬太郎に指名されもの。キンは桶田さんの才能を前から評価していた。番組はライブ形式で、構成、台本がきっちりあり、苦戦する。もっと頭に入れておけばよかったと後悔。TBSのミニ番組「ウェディングシアター」のイラストを担当。これはそれまでに100組はしただろう馴れ初め紙芝居の結果ともいえる。代官山、「山羊に、聞く」で喫茶店のトークライブ「さませ!」。これは同じ時期に行われていた、立川志の吉の真打トライアルの公演「しめせ!」に当てたもの。横浜、有隣堂で「人生と言う限りある時間の中から永遠を見つけようとする青年」のサイン会。4時間。5月、「描き語り」2回。昼の部のゲスト、ひづめみか〜る(swimmerデザイナー)、夜の部、石田ゆうすけ(自転車旅行、ライター)。山羊に、聞くで「さませ!」の次の「すませ!」トークライブ。すまし汁、ちらし寿司のついたライブ。tvk「秋じゃないけど収穫祭」出演。下北沢の北沢タウンホールで、紙切りの林家二楽とライブ「キンニラ」。「人生と言う限りある時間の中から永遠を見つけようとする青年」の原画展を紀伊國屋新宿南店で。6月、パシフィコ横浜で日本精神神経学会の講演。吉田類氏と。会の会長で慈恵医大主任教授の中山和彦氏との交流が始まる。天使と人面犬とロケットのピンバッチを制作、発売。7月、千葉文化センターアートホールで「キンシノ」。8月、阿佐ヶ谷ロフトAの「楳図かずおイベント」にゲスト出演。「描き語り」2days。ゲスト、大山顕、げんきいいぞう。阿佐ヶ谷七夕祭りに合わせて、人面犬の張りぼて作品を阿佐ヶ谷ロフトAから商店街に出す。9月、下北沢のB&Bにて、ライターのこいしゆかさんと旅のトークイベント。北沢タウンホールで「キンニラあこシアター」。10 月、相模大野グリーンホール大ホールで「キンシノ」。キンシオ「生き物の旅」シリーズのファイナルのロケで鹿児島の「重富」へ。そのロケで鹿児島の可否定館に行き、民藝のよさに目覚める。町田駅前のパリオビルで「まちだはまちだ」の懸垂幕を発表。後、長く話題になる。映画会社「ザジフィルム」のカレンダー制作。私家版カレンダー制作。500部。印刷。ルー・リード1亡くなる。11月、町田で似顔絵イベント。ビームスBギャラリーで個展「都会の静寂と田舎の喧騒」。期間中、ゲリラ的に会場でトークイベント。渦ライブ。加納真美、だるま食堂らと。12月、東京ドームでポールマッカートニーのライブを観る。立川志の吉が真打に昇格。立川晴の輔に改名。3331 arts chiyoda にてオズマガジンのイベント。阿佐ヶ谷「描き語り」ゲスト、きだてたく(文具評論家)。汐留、シオサイトの「冬の汐博」にて大きなアドベントカレンダーのイラストを担当。期間中はグッズ販売の出店もする。tvk「キンシオ」のオリジナルパーカー発売。森画伯と入籍。「キンシオ」がtvkの年またぎ番組を担当「「キンシオとしまたぎスペシャル新年がもうそこまできているらしいですよ」。生放送。

2014年

1月、同じマンションの2階から3階の部屋に引っ越す。2つの部屋を1つにした部屋で倍の広さ。天使のピンバッチ、黄色バージョン制作。製薬会社の企業イベントでパフォーマンス。タイの友人、ウドムがタイから留守中に尋ねてきたっぽい。玄関に手紙が置いてあった。2月、阿佐ヶ谷「描き語り」、一人で音楽の話。ビートルズ「愛こそはすべてに」入っている4つの曲など。大宮、ソニックシティで「キンシノ」改め「キンぱれ」3月、「キンシオ」の番組本「キンシオ、あいうえおの旅」が学研より発売。下北沢で「キンニラあこシアター」。伊勢原市、大山で立川晴の輔とトークイベント。ロケで北海道。キンがパッケージのイラストを手がける美瑛のカフェ、Goshにいきなり行く。人気店になっていてびっくり。北海道新聞の取材。横浜、朝日カルチャーセンターで講演。代官山、「山羊に、聞く」で初のプロデュースにして、自分が出演しないライブ「アコギ一本」開催。フォークギターで全然違う方向性の三人、中尾諭介、双葉双一、最鋭輝。完売。横浜の朝日カルチャーセンターにてストリート哲学講座。晴の輔、真打披露公演。4月、長い歴史に幕を閉じる吉祥寺の映画館、バウスシアターの最終作品、「さよならケーキと不思議なランプ」のチラシ、ポスターのイラスト。チケットホルダーのイラストを手がける。下北沢で「渦」、同じ日に本厚木にオープンしたアミューあつぎで柿落としイベントをロフトの「描き語り」として。ゲストは中尾諭介。代官山のカフェ、「山羊に、聞く」でキンシオ好みのナポリタンを4月限定でランチに提供。5月、「山羊に、聞く」で本人がMCのみで、でないライブ「アコギ一本2」。「1」と同じメンバーで。が〜まるちょばのプロデューサー、熊手和宏が手がける浅草夢まち劇場にて6日間の公演「浅草発見伝」。これは日頃から付き合いのあるが〜まるちょばの所属会社の社長、熊手氏に頼まれたライブで、夢まち劇場のオープニングを務めたが〜まるちょば、さらにその次の公演のワハハ本舗のように毎日の公演はできないと伝えると、浅草を歩いて、それをそのまま見せて話すライブをするといい、と言われ、それが成功し、のちの「さんぽライブ」へとつながったといえる。それまでの「描き語り」でも街で見つけたものを見せてライブをするものの、歴史を調べ、それと絡めて分析し、話すようなことはなかった。浅草はよく知っている土地ではないため、その必要があり、そこに「さんぽライブ」の雛形があると言っていい。師匠のクリス・モズデルと京都に行く。クリスが京都のことについて書いた詩集「絹の都」(新評論)の翻訳、イラストを担当し、写真を撮りにいくため。tvkのイベント「秋じゃないけど収穫祭」のステージ。6月、NHKの番組「青山ワンセグ開発」の収録を三鷹の天命反転住宅にて。制作はディレクションズ。以前、馴れ初め紙芝居を担当した新郎が、放送作家のピエール杉浦で、会議でキンの名前が出て、びっくりして連絡がきた。「キンぱれ」を西新井文化センターにて。子供もありと言うことにしたが、子供は少なかった。iphoneのアプリ「キンシオカメラ」が始まる。写真を撮ると天使なども写るもの。「描き語り」、ゲスト、坂本頼光。完売。7月、馴れ初め紙芝居の仕事で日帰りで山口の宇部へ。8月、代官山、晴れたら空に豆まいてで「キンぱれ」特別公演2日間公演。大きな場所でやることが多くなり、最初の場所でやってもらう雰囲気をみんなに見てもらおうと言うもの。チケットは高かったがすぐに売り切れた。阿佐ヶ谷「描き語り」2回公演。昼はドローイングシアターワークショップ。夜はゲストが文具評論家のいんちき番長。完売。またこの時期の阿佐ヶ谷七夕祭りにも天使の張りぼてを展示した。鹿児島の枕崎で身内で結婚式。9月、北沢タウンホールで「キンニラあこシアター」、舞台上の話の流れでヒントを得たことに、このオチにしたいと思ったキンが、別な演者が舞台に出ているときに、それぞれ楽屋で話を持ちかけ、プロデューサーの木村万里さんも知らなかった展開に。即興好きなキンのとても印象に残ったライブになる。10月、吉祥寺のオープンするユニクロ吉祥寺店の記念マグカップを1万個制作。ユニクロ初の地域密着店。4Fフロアの壁のイラストも担当。新宿伊勢丹本店4FのRED PARKのギフトフェアにて赤い絵の展示とトークイベント。横浜市、新羽の横浜市交通局のはまりんフェスタにて、tvk「キンシオ」のコラボ企画、キンシオラッピングバス完成、そして400人の前でライブペインティングで仕上げる。他の部分は綿密なイラストとデータで仕上げ、残された白い部分にライブペインティングで失敗できない緊張感。うまくいく。18日より運行開始。江東区の未来科学館で行われるNHKの科学系番組が集合したイベント「サイエンススタジアム」のロゴやグッズを担当。以降、長く使用される。イベント当日は2日かけて大きな壁画を完成させる。東京駅前、KITTEで日本郵便主催のトークイベントに立川晴の輔と出演。馴れ初め紙芝居で長野県飯田へ。横須賀の高校に晴の輔と芸術鑑賞の出演。以降、たびたび各地で行う。NHKの「青山ワンセグ開発」、スタジオ収録。来年度の私家版カレンダー制作。11月、茅ヶ崎市民会館で「キンぱれ」。慈恵医大の「森田療法学会」で講演。閉店した阿佐ヶ谷のヴィレッジバンガードダイナーのために描いたキャンバス画が15年ぶりに戻ってくる。長男誕生。12月、LINEスタンプ始まる。吉祥寺、光専寺でクリス・モズデルの翻訳本「絹の都」のサイン会とライブ。クリスで出会って25年、いつか一緒に仕事をしたいと言う夢が叶った。阿佐ヶ谷ロフトAで「描き語り」。ゲストはイラストライターの326(ナカムラミツル)、かつてポストカードや本を出していた1998年あたりに同じ業界で大ブレイクした人との初対面。聞いてみたかったことは「あの時、片隅で活動していた僕の存在を知っていたのか?」他、当時の話を色々聞いて感動。特に、当時、福岡で活動していた彼は兄がキンの作品を部屋に飾っていたことを話し感動。クリスのこと、326さんのこと、過去の自分に話したいようなイベントが続いた。蔵前Mirrorでオズマガジンのイベントに出演。帰りにカバンの中で水をこぼしipodを水没。それも森画伯のもなぜかカバンに入っていて2つとも。当時、160Gのipod classicは生産を終了して値が上がっており、悔しさと反省と自分への戒めのために2つで14万でネットで買う。汐留のシオサイトにて冬のシオ博。アドベントカレンダー、トークイベント、出店。トークイベントではipod水没事件を話すものの元は取れず。tvk「キンシオ」の重富Pがプロデュースする子供番組「キッズ劇場」のオープニングの曲「今日を記念日にしよう」を初めて作曲。作詞も。鼻歌を携帯に録音し、それを音にしてもらうやり方。ここ数年のテレビやメディアなどの大きな仕事から、個人の仕事まで受けるキンは、どんな仕事にも楽しみがあり、これは大きな店や小さな店が共存して魅力になっている「吉祥寺的」で、僕もそういう感じで仕事をしていきたいと思うようになる。

2015年

1月、「キンシオ」新作DVD「17号を行く」のロケで日本橋から新潟の旅。2月、ユニクロのTシャツプリントサービス、UーTmeを吉祥寺店で販売開始。「キンシオフォント」と言うアルファベットをすべて人のイラストにした作品。これで自由に文字を組み合わせてTシャツを作ることができる。雑誌「Hanako」の原稿とイラストを担当。吉祥寺、西荻特集。3月、慈恵医大の中山和彦教授と高知県香南市に講演。森田療法の創始者、森田正馬の生家が取り壊されかもしれないと言う話で、その保存会に夜、森田先生の顕彰の講演。キンは、香南市、野市を歩き、その面白さ、屋根瓦の刻印の話をする。急に思いついた内容で、デジカメなどの接続機器を用意してなかったため、写真を撮ってコンビニでプリントして講演に使った。ここにも後の「さんぽライブ」の形が見える。3月、北沢タウンホールで「キンニラあこ」。福生市市民会館大ホールで「キンぱれ」700人。「志の吉改め晴の輔」の儀式で、会場の笑いの塊を体験した回。宮城県、名取市で立川晴の輔と震災復興ライブ。キンぱれの制作メンバーではないが、「キンぱれ in 名取」として。新作LINEスタンプ。人面犬バージョン販売開始。「キンシオ」DVD「17号を行く」発売。横浜、ルミネの「朝日カルチャーセンター」で自分の人生哲学の話をする講座。福岡、鹿児島の旅。4月、発売記念イベントをtvk1Fのカフェで。阿佐ヶ谷「描き語り」、ゲスト、とみさわ昭仁。横浜ルミネで、tvkイベント。中尾諭介と。5月、小田原、ダイナシティでDJの栗原治久のイベント出演。tvk「キンシオ」でキンが担当していたBGMの選曲集がタワーレコードよりCD化される。ヴェルヴェットアンダーグラウンド、フー、クイーン、ビーチボーイズ、ニールハステッド、ティーンエイジファンクラブなど、許可の取れたアーティストの全17曲を収録。tvk「キンシオ」のロケで旅行会社、プラネットクルーズとのタイアップでクルーズ船「コスタヴィクトリア」に乗る。函館、秋田、長崎、釜山(韓国)、大阪を回り、ロケをする。イタリアのクルーズ船の中の劇場で晴の輔とライブやワークショップも。釜山は「キンシオ」で初の海外ロケ。tvk「秋じゃないけど収穫祭」出演。6月、吉祥寺の大型店舗、コピス、アトレ、東急、パルコ、丸井、ロフト、ユニクロ、じぞうビル、キラリナで同時にキンのイラストで飾る「吉祥寺は晴れてます」開催。コピス、アトレでイベント。各施設でそれぞれ違うポストカードもプレゼント。声優、野島健児のCD「いつかどこかの僕について」のジャケットイラスト担当。吉祥寺、スターパインズカフェでの野島健児のレコ発ライブにゲスト出演。パフォーマンスとトーク。ブックスルーエから布製のブックカバー発売。7月、武蔵小杉のグランツリーで「キンシオ」CDのイベント。タワーレコードでサイン会。売り切れていた旧作のポストカードを再販、また合わせて、自主の販売用としては12年ぶりの新作ポストカードシリーズを制作。ロケで神戸に行く。8月、武蔵中原のエポックなかはらで「キンぱれ」。町田パリオ地下にできたライブハウス「まほろ座」でも「キンぱれ」を行う。9月、阿佐ヶ谷「描き語り」。ゲスト、ナオユキ。完売。船橋西武でトークイベント。町田パリオ で原画フリマと似顔絵位ベント。4日間。横浜ルミネの朝日カルチャーセンターで質問に答えるイベント。事前に質問をもらい、当日、箱から出してそれに答える形式。2時間。銭湯のペンキ絵師、丸山清人氏の個展に行きサインをもらう。10月、tvkで新番組「銭湯物語」が始まる。神奈川県内の銭湯を案内する5分番組。ナレーションも担当。「キンシオ」で北海道ロケに行った際の車の中での雑談から始まった。すべては2009年に絵を描いていいマンションに引越した時に小さい風呂場に絵を描こうと色々銭湯に行き、興味を持ったのが始まり。下北沢で「キンニラあこ」。町田まほろ座でイラストワークショップ。横浜、日本大通の放送ライブラリーでトークイベント。銭湯の話もして、富士山の絵も描く。2016年の私家版カレンダー制作。11月、急遽決まった阿佐ヶ谷「描き語り」。ゲストは銭湯や様々な文化に詳しい町田忍氏。銭湯づいている日々。完売。武蔵野市のコミュニティーセンター、通称「コミセン」の案内パンフレット、「コミセンって何?」を武蔵野市の依頼により制作。文字もすべて手書きにする。晴の輔と高校公演。埼玉、越生高校。デジカメ壊れる。12月、「キンシオ」ロケで下北半島へ。個人的にも今まで行ったことなかった。馴れ初め紙芝居で山口の防府へ。汐留、シオサイトで「冬の汐博」のメインイラスト、アドベントカレンダー、イベント出演。フリーペーパー「サンケイリビング」の純喫茶のインタビュー。新宿の「らんぶる」で撮影。船橋西武のキャンペーンのメインイラストを担当。期間中、トークイベントも。武蔵野市民文化会館大ホールで「キンぱれ」。tvk「戦闘物語」が特番で放送。

2016年

1月、船橋西武と新年企画。「キンが新年」でおみくじならぬ、「絵みくじ」。船橋西武で5000円以上買ってくれた人に。絵みくじは、イラストが描かれ、もらった人はその絵から吉凶を想像するもの。階段を上がっている人の絵の場合は、「一歩一歩着実に」など、受けての想像力に任せる。全29種類。また、江戸時代創業、梨園染めの日本橋戸田屋商店で風呂敷を制作、販売。デヴィッド・ボウイ亡くなる。町田、まほろ座でワークショップ。友人の結婚式で大阪へ。フンデルトヴァッサーのゴミ焼却所を見る。ホテルの窓から見て、近いと思ってタクシーで行ったら遠くて5000円かかった。2月、船橋西武でトークイベント。ヴァレンタイン企画できんがパッケージを描いたひとめぼれの米も発売。tvk「銭湯物語」のDVD発売。テレビ東京「アドマチック天国」の「吉祥寺」の回にチラッと出演。井の頭公園のこと。「キンシオ」の「ABCの旅」のロケで「L」のレモン谷(広島県、瀬戸田)へ。表記が「REMONーDANI」で「R」に急遽変更。。3月、横浜、朝日カルチャーセンターで「ストリート哲学講座」。吉祥寺キチム でライブ「か行の夜」。「キン」「吉祥寺」「キチム 」みんな「か行」なのでそのタイトルに。ゲストも「か行」のみで、第一回目は「ケッチ!」。北沢タウンホールで「キンニラあこ」。厚木で清南高校の芸術鑑賞講座。晴の輔と。横浜の音楽堂で横浜東高校の芸術鑑賞講座。晴の輔と。飯能の飯能市市民会館で「はんのうさんぽライブ」。キンが浅草の「ゆめまち劇場」でやった散歩してその街のことを話すライブをうちでもと飯能市がオファーをくれ、前の日に飯能で泊まり、街を歩いて翌日にその写真などを見せながらライブ。300席完売。キン一人では動員記録。その後、回を重ねることにあるが「さんぽライブ」としての実績と自信を得た。ユニクロ吉祥寺店の大きなウィンドウにキンの大きな中道通りのマップイラスト。晴の輔と練馬工業の芸術鑑賞授業。阿佐ヶ谷「描き語り」、ゲスト、ラ・サプリメントビバ。横浜そごうのシーガルコートでトークイベント。この3月は6回のライブやイベント、講演会と3回の高校での芸術鑑賞の舞台。4月、兵庫県のサンテレビで「キンシオ」のオンエアがスタート。某チケット会社の依頼でリサイクルのイラスト。24万のはずが、費用が思いのほかかかったと言われ、2万4千円に。「今、思い出して書いても怒りが込み上げるくらいだから当時はもっとだったんじゃないかな」(キン)。tvk「銭湯物語」のDVD発売イベント。5月の小田原の「キンぱれ」に合わせ、蒲鉾メーカー、「籠凊」のコラボパッケージを制作。汐留のシオサイトの春に合わせたフラッグのイラスト。このウェブサイト、kinshio.comを作っているウェブクリアイターのハギボウ君の結婚式で馴れ初め紙芝居。めでたい! tvkハウジングでトークイベント。参加者250人を連れてハウジング内を散歩。5月、小田原市民会館で「キンぱれ」。700人。キンシオ「ABCの旅」完結。Xは山口の「サビエル」。「ザ」ではなく「サ」。鹿児島に旅。tvk「秋じゃないけど収穫祭」に出演。6月、日本精神神経学会学術総会のイベントで幕張メッセ。講演と、姜尚中氏と中山和彦さんとパネルトーク。劇団道学先生の20周年記念Tシャツのイラストを担当。販売したが、まだ19年だったことがわかった。晴の輔と高知の龍馬学園の創立30周年パーティで学校創立紙芝居。高知の返盃というシステムでけっこう飲む。晴の輔と江東区の都立科学技術高校で芸術鑑賞の舞台。7月、会社「グレープフルーツ合同会社」を森画伯と設立。阿佐ヶ谷ロフトA「描き語り」、ゲスト、団地評論家、大山顕。完売。町田パリオの2階から地下一階までの合計28メートルの壁に絵を描く。江東区でイラストワークショップ。8月、ギャガから発売されるイラスト,
アート、紙芝居のDVD「ドローイングシアター」の撮影の日々。町田の壁画も収録。町田市民会館大ホールで「キンぱれ」。完売。これに合わせタワーレコードからキンぱれタワレコタオル、町田観光協会とのコラボのドリップバッグコーヒーを制作。町田の新星舎で活版印刷ポストカードシリーズ「モノクロームセット」も制作。白黒で描き、受け手が頭で色をつけるようになっている。キンシオポケTも制作、販売。中国製トートでは、中国のサンプルがキンの絵と違っていて、そのネタで900人の笑いの風圧を感じる。9月、ビームスBギャラリーにで個展「旅先にて」。キンが1999年に写真に絵を描く手法をポストカードに実験でやったものの集大成で「PHOTO+GRAPHIC」(フォトグラフィック)と名付ける。キンが撮った日本各地、それからメキシコの写真にイラストを描き、物によっては色を塗る。旅とアートを融合させる試み。期間中、会場でイベントを多数開催。個展も大成功で、この手法に自信を掴んだ。八王子市にある平川病院のロゴマークを制作。中山和彦先生が縁。「吉祥寺的」に色んな仕事をすることをモットーにしているキンにとってもこれは異色の仕事でもあった。横浜ルミネの朝日カルチャーセンターで、お客さんの質問を箱から出して答える会。町田まほろ座で音楽の歴史の講義。tvkハウジングでトークイベント。ビームスBギャラリーの個展でイベント、ゲスト、クリス・モズデル。10月、ビームス個展のクロージングイベント、ゲストは立川晴の輔。10月、平塚市にできる、東急ハンズ、ららぽーと湘南平塚店のオープニングのポスターやショッパーのイラストを担当。同時に、マスキングテープ、スケッチブック、キーホルダー、一筆箋、測量野帳、などのオリジナルのグッズを多数展開。首都圏の東急ハンズでも展開。阿佐ヶ谷「描き語り」、ゲスト、金谷ヒデユキ。下北沢で「渦」。ナオユキ、小林のり一、瀧川鯉八、立川左談次。11月、町田で原画フリマ、似顔絵。4日間。2017年の私家版カレンダー、制作、販売。横浜そごうでトークイベント。オリジナルチロルチョコも制作、販売。ギャガより翌年発売のアートDVD「ドローイングシアター」を撮影。2007年にパフォーマンスを始めて10年。ここに結実する。江東区の江東区文化センターでトークイベント。阿佐ヶ谷ロフトAでウクライナのミュージシャン、Make Like A Treeをゲストに急遽、「描き語り」のライブ。武蔵嵐山の日本赤十字社旧埼玉支部でアール・ブリュットのイベントに出演。最寄りえきの武蔵嵐山から徒歩60分とチラシに書かれていたが、多くの人が集まる。吉祥寺サンロードのスクラッチセールキャンペーンで、イラストを担当、フラッグなどがキン仕様に。横浜モアーズの東急ハンズでエプロンして接客イベント。結局トークイベントになる。吉祥寺、中道通り商店街のオフィシャルマップのイラストを担当。吉祥寺サンロードの西友前でトークイベント。吉祥寺キチム で「か行の夜」2日間。ゲスト、野島健児(けんじで「か行」)。サンロードの上にも初めて登る。12月、ロケで福岡。ロケで伊豆へ。その後、伊豆にある、が〜まるちょばのケッチ!の実家にも行く。

2017年

1月、横浜市の個人宅の表札の文字とイラストを描く。「キンシオ」DVD「20号を行く」のロケで毎日旅。行って帰って、止まったりもして全4日。松本でレギュラー放送のロケもして、旅館、まるもに泊まる。横須賀市文化会館大ホールで「キンぱれ」。2月、キチムでライブ。ゲスト、Make Like A Tree。昨年、阿佐ヶ谷で一緒にライブをした彼とまたどこかでやりたいとのメールで実現。急に決まり、人を集めるために、大したことないけど全員に何かプレゼントを企画。使いかけのクーポン券、好きなお店の箸袋など、本当に大したことない中、最後のおざさの羊羹で盛り上がる。ギャがよりDVD「ドローイングシアター」発売。武蔵小杉、グランツリーのタワーレコードで発売記念イベント。雑誌、モノマガジン の散歩特集の取材。tvk「キッズ劇場」の打ち上げで箱根。帰りに御殿場で初めてさわやかのハンバーグ食べる。吉祥寺の中道通りでタイの友人のコメディアン、ウドムさんにばったり会う。東急ハンズのお年玉企画、「銭湯の経営者限定、キン・シオタニがペンキ絵を描きます」企画に当選した 岐阜の各務原市の「恵みの湯」にペンキ絵を描きに行く。6メートルの大きさに男湯と女湯2枚。初めてのこと。3月、飯能市の「はんのうさんぽライブ2」。完売。慈恵医大を退任する中山和彦教授のホテルオークラの退任式に出演。トークをするが、大きな会場で立食の酒の席で聞いている人はほとんどいなかった。中山先生の著書、「非定形型精神病とカタトニア」の表紙やイラストを担当。町田まほろ座でライブ。「コーヒーの時間」。キンシオドリップバッグコーヒーを販売している、町田焙煎珈琲の岡さんがゲストでコーヒーの講義。キンシオのロケで金沢に。金沢新幹線に初めて乗る。阿佐ヶ谷「描き語り」。ゲストはファンシー絵みやげ研究家の山下メロ。楽屋で一言も話さず少し気まずかたのにライブでのツッコミにビックっり、話終わらず、次回もやることに。DVD「ドローイングシアター」の打ち上げを吉祥寺、大益で。4月、吉祥寺を舞台にした映画「PARKS」のキャンペーンで、吉祥寺にあるベイクルーズ系列(ジャーナルスタンダード、パンケーキのフリッパーズなど)9店鋪のオリジナルステッカーを制作。9つのステッカーにそれぞれアルファベットが書かれており、全部集めると「KICHIJOJI」になる。吉祥寺の街の貸し傘キャンペーン「吉傘」のロゴイラストを担当。傘に絵を描くワークショップをアトレで開催。5月、墨田工業高校で芸術鑑賞。晴の輔と。3連休は毎日吉祥寺。井の頭公園100歳記念イベントを西園競技場ステージで。最後に観客の子供たちと一緒に大きな絵を描く。最後は子供たちが自由に描きすぎて、キンはただの実況の人みたいになる。アトレ、ゆらぎの広場で吉傘ワークショップ。吉祥寺駅前特設ステージでトーク。が〜まるちょばのケッチ!と井の頭公園の思い出話。この日に携帯をiphoneに変える。ドコモショップで4時間くらいかかり、ステージに間に合うかヒヤヒヤした。インスタグラムも初め、最初の投稿がこのイベント。モノマガジン のイベントでお店を出す。マーチエキュート万世橋で。森画伯、2歳の長男とメキシコへ旅。サンクリストバル、オアハカ 。tvk「キンシオ」のDVD [
20号を行く」発売。友人のウクライナ人ミュージシャン、Make Like A Treeの曲もBGMで収録。tvk1Fで発売記念イベント。横浜公演にてtvk「秋じゃないけど収穫祭」出演。終わって物販。6月、tvkの番組「関内デビル」出演。tvk「キンシオ」に、tvkの番組「関内デビル」のマスター、大場英治が出演。共に吉祥寺を散歩。大場英治こと菊谷宏樹は地元が三鷹で、かつてtvkの番組「sakusaku」で数多くの伝説を作った。また番組で歌われる歌の中でも「吉祥寺のうた」を聞いて以来、地元の先輩としてずっとリスペクトを示していた。待望の共演だった。後日、「関内デビル」にキンも出演する。立川「りするホール」大ホールにて「キンぱれ」。アトレで吉傘イベント。劇団道学先生の昨年作った20周年記念Tシャツが本当は19年だったが、晴れて20年となり発売。吉祥寺キチム 「か行の夜」。ゲストはフリーアナウンサー、清野茂樹とドローイングシアターと実況のライブ。ギャガコミュニケーションズよりアートDVD「ドローイングシアター2」が発売。吉祥寺ヨドバシカメラの2F特設広場でイベントとサイン会。武蔵野商工会議所で講演会。7月、天王洲、寺田倉庫にてクリスモズデルのイベント「THE SEVENTH SENSE」に出演。日米英仏、いろんなアーティストが参加。阿佐ヶ谷「描き語り」。前回、話が弾んで終わらなかった山下メロとの続編。またしても終わらず、次回もすることに。8月、「キンシオ」ロケで喜多方、会津若松へ。会津若町は高校生の時に初めて駅で朝まで過ごした思い出の場所。一白した東山温泉とともに、ほとんど思い出せず。しかし素晴らしい街との認識を新たにした。大井町の「きゅりあん」にが〜まるちょばを観に家族で。自動車部品メーカー、カネミツの企業イベントの動画を制作。はまぎんホールヴィアマーレでtvkの「環境のイベント」。さかなクンらと。横浜市営交通の「キンシオ横浜バス」が老朽化により運行終了。1年の予定が好評で3年運行。LPGガスということもありリサイクルもなくスクラップ。町田パリオで「PHOTO-GRAPHIC inMACHIDA」個展。9月、町田まほろ座で「キンぱれ」の公開打ち上げライブ。2回公演。みんなで飲み食いするやつ。個展期間中でもあり、ギャラリーとの往復、ずっと喋る。この時期は武蔵野市を走る関東バスの「キンシオむさしのバス」の制作をずっとする。コンセプトが明快であり、キンのイラスト作画史上一番何度も細かく描く。町田まほろ座で個展に合わせたライブ。2回公演。完売。tvkハウジングでトークイベンと。キンシオがオンエア400回。10月、吉祥寺キチムで来た人全員に何かあげる抽選会ライブ。モノマガジンで各地の絵地図を紹介する連載「素晴らしき絵地図の世界」が始まる。ユニクロ吉祥寺店が3周年で、7千円以上買った人にキンシオトートバックをプレゼント。横浜モアーズの東急ハンズ屋上で「横浜ハンズ鉄道まつり」。2日間。吉祥寺サンロードの大きな看板マップ2つをリニューアルしてキンの作品に。お披露目会でサンロードの会長さんと直に署名する。キンシオのロケで佐渡に行く。ずっと行っていなかった地。NHK「サイエンススタジアム」のロゴと会場内で配られるグッズ、単語帳の制作。阿佐ヶ谷「描き語り」、山下メロと3度目のライブ。とりあえず完結。11月、2018年度のカレンダーを制作。500部。原画コースも。「キンシオ」ロケで鳥取、島根へ。「生き物の地名の旅」、そして新シリーズは「一文字地名の旅」。横浜そごうの浜テラスにてトークイベント。「武蔵野ぷれいす」で学生を対象としたワークショップ。町田パリオ で原画販売と似顔絵。4日間。UR賃貸住宅の「暮らしと。フォト&スケッチ展」の審査員をSUUMOの池下洋一氏、建築家の西田司氏らと担当。12月、世界文化社の「セブンアカデミー」でそれまで朝日カルチャーセンターで行っていた「人生哲学講座」を行う。企画担当の人が移動したので。関東バスの「キンシオむさしのバス」お披露目会を武蔵野文化会館駐車場で。そしてキンが制服を着て武蔵野市のコースを観光するガイドツアーも各回25人を4回にわたって運行。1回が45分くらい。関東バス武蔵野営業所長の徳永秀明さんと。新しい形のライブでもあった。三郷工業技術高校で晴の輔と芸術鑑賞の舞台に出演。

2018年

1月、年末から家族がインフルエンザになり大変。2月、20年の歴史に幕を閉じる船橋ロフトのクロージングイベントのスタッフTなどのイラスト。ロフトの壁にライブペインティングもする。伊勢原市民会館で「キンぱれ」。大山のたけだ旅館で二次会的イベントも。旅とコーヒーにまつわることを書いたエッセイ集、11冊目の著書「コーヒーと旅」をマドレーヌブックスから出版。ブックスルーエでサイン会も行う。ユニクロ吉祥寺店のウィンドウがキンシオ仕様に。キンシオ武蔵野バスのイラスト。3月、飯能市市民会館小ホールで「はんのうさんぽライブ3」。完売。吉祥寺キチムで個展「ひとり雑木林」。阿佐ヶ谷ロフトA「描き語り36」。ゲスト、志良堂正史(手帳類収集家)。キンシオむさしのバスの「春のバスガイドツアー」。桜のトンネルコース。全4回、満員。4月、キチム の個展イベント期間に2時間ほどカフェの店員になる。中道通りの住んでいるマンションの横に大きなマンションの建築が始まる。建築期間が2年近くかかるということに一番近い部屋に住んでいたキンは森画伯が妊娠中であったこともあり、急遽、引っ越すことを決める。キチム で「か行の夜」。ゲストは編集者の松岡宏大。松岡氏はキンが28才の時に、雑誌「格安航空券ガイド」で初めてキンをタイに連れて行った人であり、20年の付き合いであり、共演も20年ぶり。キチムでの個展のフィナーレイベントでは即興でオークションも行うが、お客さん同士が譲り合ったり、オークションで諦めた人に申し訳ない気持ちになり、もうオークションはしないことにした。引っ越した200箱の段ボールは全然片付かず。オズマガジンで1日にスイーツを4ヶ所で食べる仕事。日本大通りでtvk「秋じゃないけど収穫祭」。物販も。6月、吉祥寺の空きテナントでイベントを頼まれ、一日限定ショップ。場所は伝えず、ドンキホーテから50歩など、ヒントのみだが、オープン前に列ができた。外は暑いから時間を早めて中に入ってもらったが、空きテナントでエアコンのない店の中はもっと暑かった。車検を自分で通さずに初めてオートバックスに頼む。長女誕生。アデノウィルス(流行性結膜炎)にかかり、生まれたばかりの赤ちゃんと接触禁止。産科病棟から眼科に診てもらいに行き、そのまま部屋に帰れず。また退院した森画伯にも移り、長女は約1ヶ月病院に預かってもらうことに。代官山、「晴れたら空に豆まいて」で「キンぱれ」の10周年を記念して、原点の場所でのライブハウスでの公演。町田市の図書館の企画、ポップコンテストまちだのイラストを提供。キンの3冊のおすすめ本(吉村昭「漂流」、カミュ「異邦人」、夏目漱石「夢十夜」)を紹介。7月、長女が家に来てからは子育ての日々。武蔵野市の16Kブルワリーよりクラフトビール「レールエール」を発売。キンがラベルを担当。「キンシオビール」と呼ばれる。目白大学で旅のフィールドワークの講演。「キンシオ」ロケで北海道新幹線に乗り、函館へ行く。8月、鎌倉芸術館で横浜桜陽高校の美術鑑賞の舞台。晴の輔と。9月、成城ホールの「志の輔らくごあっぱれプラス」の出演者のめくりを制作。東京ビッグサイトの「旅フェス」の北海道ブースで北海道の話。松浦武四郎の話。留萌の絵地図の素晴らしさについて。「キンシオ」で福井ロケ。10月、町田パリオ5Fで似顔絵イベント。3日間。原画販売のみの日はなし。パリオスタジオで「PHOTO+GRAPHIC in MACHIDA 2」を開催。「キンシオ」海老名のロケの朝、眼のまわりが赤くなり、眼科で寒暖差のアレルギーと診断される。海老名のららぽーとのH&Mでメガネを買い、それをかけてロケ。自分ではブルックリンの若者っぽいと思ってたもののみんなにはひょっこりはんと言われる。セグウェイに乗る。ロゴを担当しているNHK「サイエンススタジアム」のイベントグッズ(単語帳)を制作。町田市民ホールで「キンぱれ」。11月、青山スパイラルでオズマガジンの「女子旅EXPO」でトークイベント。完売。下北沢「渦」出演。八王子のオリンパスホールで大成高校の芸術鑑賞の舞台。晴の輔と。市ヶ谷の世界文化社、セブンアカデミーで講演「旅に学ぶ人生」。2019年の私家版カレンダー制作、販売。原画コースも。画風は民芸に影響された素朴な画風を試みる。12月、長男が認証の保育園に行き始める。吉祥寺サンロード「ウィンタースクラッチセール」のイラスト担当。サンロードが再び「キンロード」となり、キンのイラストやフラッグが飾られる。吉祥寺シアターで「むさしのさんぽライブ」。キンが浅草で自分のライブはこれだと思い、飯能市で実績を重ね、吉祥寺シアターが声をかけてくれた。初日は小学生対象のワークショップ。2日目は「むさしのさんぽライブ」。完売。ムンク展を観る。tvk制作、伊勢原市の比々多神社で「比々多カルチャーまつり」でトークイベント。キンのイラストの御朱印帳も販売。長女が生まれ、子育てと家族に寄り添う。人に助けられ、核家族の大変さを思い知った一年でもあった。

2019年

1月、長男が地図を見て急に「練馬」に行きたい言い、と急に行く旅をよくする。2月、パソコンが壊れ、新しいMACを買う。過去のデータも消える。いいけど。「キンシオ」DVD 「東海道を行く」のためロケ。ロケは日本橋から京都の三条大橋までだが、子育てのため毎日帰宅。1ヶ月で新幹線に11回乗る。3月、飯能市市民会館で「はんのうさんぽライブ4」。過去3度の小ホール完売を受け、初の大ホールに挑戦。小ホールはキャパが300で大ホールは1100。完売と言うよりも、どれだけ伸びるかと言うことを見たいとのこともあった。前回150人近く人が増えた。ゲストに飯能市博物館の尾崎さんを招き、平地スイッチバックの謎など、飯能の色んな話をきく。終演後、一人で物販も行う。この時お客さんから、12月からこの3月まで、イベントが全くなかったので心が折れそうでしたと言われ、ありがたく、イベントをなるべく入れようと思った。横須賀で高校の芸術鑑賞の舞台。晴の輔と。武蔵野市のNTT武蔵野開発研究センターで社員のファミリーイベント。地上60メートルの屋上のヘリポートでトーク。関東バスの「キンシオむさしのバス」の武蔵野、桜のガイドツアーを実施。調布、野川の3時間限定の幻の桜のライトアップを見に行く。親友のが〜まるちょばのケッチ!が、が〜まるちょばを脱退。海外へ行く。4月、長男が認可の保育園に転園。長女も入園。吉祥寺シアターの年間スケジュールの表紙イラスト。吉祥寺キチムで全員に何かプレゼントするライブ。平成が終わり令和に。5月、立川晴の輔と「キンぱれ」を晴の輔の地元、調布で。tvk「秋じゃないけど収穫祭」に出演。6月、「キンシオ」DVD、「東海道を行く」発売。トラベルステッカーを制作。個人通販を1ヶ月限定で行う。これはカレンダーの時もそうだが、限定期間の個人通販には個人的にメモ書きメッセージをすべてに書く。阿佐谷ロフトAで「描き語り」。ゲストはチェーン店研究家のDJ BUBBLE-Bさん。博多のウェストがなぜか1軒だけ東京の町田にあったり、興味深い話。終わらず次回も。「キンシオ」ロケで盛岡へ。井の頭公園時代のお客さんで友達になった成蹊大のガッツこと平賀君がやっていると言う話の食堂「ファームプラス」に突然行く。20数年ぶりのの再会。パスポートを更新する。立川花火を見に行く。昨年は一度も行かなかった。8月、タピオカにハマる。外務省の日本とメコン地域の交流イベントにパフォーマンス出演のため、タイのバンコクへ。制作元で、当時、闇営業問題で話題だった吉本興業本社にビザの申請に。NHKの名作ホスピタルのスタッフだった大串さんと再会。タイのコメディアン、ウドムさんの家に行く。バイクタクシーに行きた心地がしなかった。スタジオにも行く。豪邸ぶりにため息。感動の再会。パフォーマンス前日、付近でテロ事件が起こりパフォーマスは中止。ただ観光に行った1泊2日の弾丸ツアー。ただ、久しぶりの海外でキンにとってはとてもいい経験になった。吉祥寺のたばこ屋、「アライ屋」のシャッターの看板のイラストを担当。店が閉まっている時しか見られないアート。9月、吉祥寺「キチム」でタイの土産話ライブ。一人で。なんと50才になる。神奈川県民ホール、大ホールで「関内デビル」の大場英治と二人の「神奈川魅力発見サミット」ライブ。クラウドファンディングで客を募集し、ライブをするという多分に実験的なライブ。キンのパートは「神奈川の歴史、TOP30」。満足のライブでお客さんからアンコールが起こった。大場英治とのコラボTシャツも制作。梨にハマる。10月、平塚で「キンぱれ」、中原御殿から海軍火薬廠、七夕祭りへのつながった歴史。オリジナルミラー「I’ ll be your mirror」制作。2020年の私家版カレンダー制作。原画コースも。11月、町田パリオ5Fで原画販売と似顔絵2日間、計3日間。市ヶ谷、セブンアカデミーで講座。音楽の歴史について。ロゴを担当しているNHK「サイエンススタジアム」のグッズ、単語帳を制作。長男が今日は高尾山口に行きたいというので、行くことに。ケーブルかーで頂上も行ったが、シーズン中でもあり、帰りが混むということで、15分で下に降りる。吉祥寺サンロードのウィンタースクラッチセール。「キンロード」に。吉祥寺シアターにて「むさしのさんぽライブ2」を開催。前回の倍の2回公演。「吉祥寺」と名のつくマンションや建物の範囲を歩いて取材しライブで報告する。また、吉祥寺に住んでいた、元が〜まるちょばのケッチがイタリアから回線中継で出演。2回とも。新百合ヶ丘のイオンシネマで、町田の魅力について、ラッパーのKEN THE 390さんとトークイベント。制作、ポニーキャニオン。「キンシオ」ロケで和歌山、奈良、京都へ。12月、横浜市中区のイベントでパラリンピックの陸上競技、中山和美選手とトークを横浜関内ホールで行う。阿佐ヶ谷ロフトA「描き語り」。ゲストは前回に続き、DJ BUBBLE-B。アトレ吉祥寺のゆらぎの広場で、武蔵野市の生涯学習計画についてのトークイベント、学びについて。モノマガジン の連載「素晴らしき絵地図の世界」が終了。吉祥寺の小学生教諭の勉強会「Beyond Labo」で講演。吉祥寺の雑木林的生き方、仕事の仕方について話す。家族で森画伯の実家、鹿児島、枕崎に新幹線で行く。10日以上滞在し、年越しを旅先で過ごす。

2020 年

1月、鹿児島で年明けを迎え、鹿児島、倉敷により帰る。倉敷「カッパ」のとん定に感動。tvk「キンシオ」が10周年を迎え、tvk1Fで記念イベント。100人の席に1600の応募。立川晴の輔、中尾諭介、大場英治も出演のほか、ロケ先であった3人(後閑のカフェ「夢」のママ、渋川「とり谷」のマスター、栃木合戦場郵便局の局長)も登場。3時間のライブ。ヤプログの終了、HPのリニューアルに伴い、毎日ファミレスで2008年以降のヒストリーの追加作業。HP制作のハギボウ君に教えてもらって新しいブログ「note」開設。